避難指示解除を控えた福島県浪江町レポート

Fukushima Photo

福島県浪江町の現状について、全国紙の記者(匿名)から寄稿をいただきました。2017年2月28日の同町からの報告です。


東京電力福島第一原発の爆発事故から、丸6年が過ぎようとしている。これまでバリケードにふさがれて立ち入り出来なかった自治体も、「帰還困難区域」を除いて続々と立ち入りが可能になっている。現状はどうなっているのか。

原発事故では、放射性プルームが飛来した阿武隈山地などを除けば、原発に近いエリアが帰還困難区域になっている。特に、福島第一原発が立地する双葉町と大熊町は、町の面積の90%以上が帰還困難区域で、復興に向けた絵が描きにくい状況が続いている。

一方、双葉郡内でも人口が多かった浪江町は、帰還困難区域になっている山間部の津島地区と、JR常磐線浪江駅周辺などの居住制限区域、津波被害を受けた受けた請戸地区などの海岸部の避難指示解除準備区域と、避難指示が3パターンに分かれた。

これまで、住民に同行して海岸部の請戸地区から、駅周辺の居住制限区域、帰還困難区域の津島地区にそれぞれ入った経験がある。昨年4月から、帰還困難区域を除いてバリケードが撤去された。今月末の避難指示解除を前に、改めて町内に入った。

すでに自由に行き来できる国道6号を南相馬市から入り、国道114号との交差点に来るといつも複雑な思いだった。左折すれば請戸地区へ、右折すれば居住制限区域と常磐道浪江インターを通って津島地区へ。すぐ目の前には、町役場としては大きな建物がそびえる。だが、許可証がなければ、国道以外に通行が出来ない期間が長く続いた。「バリケードの中はどうなっているのか」という気持ちが、いつも渦巻いた。

DSC_1545

町中に入ると、以前入った時とだいぶ印象が違うと感じた。地震で崩れた建物はいくぶん片付けも進んでいた。何より、避難指示解除とともに運転が再開する見込みのJRの関係者が浪江駅周辺で工事を手がけていたほか、すでに準備宿泊も始まっており、一般住宅でも各種修繕作業が進んでいるのが目についた。

居住制限区域に向かうと、庭がきれいな住宅も多かった。よく見ると、すでに公費による除染が完了していることを示す札が、住民がいない家に付けられていた。

DSC_1533

駅からほど近い位置にある町立浪江小学校には、校庭に大きなモニタリングポストが立っていた。毎時0.126マイクロシーベルト。空間線量としてはかなり少ない数値にまで下がっている。が、校庭は荒れ果て、低木が生えてきている箇所もあった。

DSC_1539

町中では崩れたままの住宅もまだ点在し、ドアが開いたままの状態の車が放置されていた。雑草に覆われた病院の駐車場も痛々しかった。

Namie

長期化した避難指示は解除されるが、避難とともに町役場が置かれた二本松市など、新幹線や東北道といった交通の大動脈が通る福島県中通りに移住を決めた住民も多い。

浪江町への帰還を諦め、福島県郡山市内に家を建てた男性(56)は「下水などのインフラが完全でないのに、避難指示が解かれても戻るに戻れない。私たちが宙ぶらりんな状態であることに変わりはない」と話す。

また、避難が長期化して避難先で落ち着いていたところに、避難指示の解除が現実化したことで、家族内で再び意見の相違が生じるなどで、いざこざが生じている家族も多いらしい。

すでに福島の放射能は落ち着いていて、住民生活も落ち着いていると考えている人は、特に首都圏で多いのではないか。それは、こうした厳しい現実について、不平不満を口にしないだけでなく、不満を吐き出す機会が減ってしまっているのだろう。

それを首都圏の人間が知らないのは、長年福島で生み出された電気を享受してきた側として、余りに切ない話ではないだろうか。さらに、浜通りには放射性物質にまみれたがれきや土砂がフレコンバックに詰められ、行き場所がないまま捨て置かれている。引き続き、「落ち着く」状態ではまったくないのが現実なのだ。