相双地域の医療

Fukushima Others

福島第一原発周辺の相双地域(相馬と双葉)では、避難指示の解除が段階的に解除されています。しかし、住民たちが故郷に帰り、安心して生活ができるようになるには、たくさんの課題があります。全国紙の記者(匿名)から、医療を相双地域の医療をめぐる問題について寄稿いただきました。


原発事故による避難指示で、住民の多くが一時不在になった20~30キロ圏。政府が避難指示の解除区域を徐々に拡大し、住民の帰還を事実上促している。でも、戻る人もいれば戻らない人だっている。

浜通りで生み出された電気の一大消費地は、言うまでもなく東京を中心とした首都圏だ。だが、首都圏で生まれ育った人には、避難指示が解けたのになぜ浜通りの人たちの帰還が進まないのか、即座に理解出来る人は少ないかもしれない。

地域コミュニティーが分断し、戻った人と戻らない人で対立が起きている。戻った人は「避難先で困っているならこっちに戻ればいい」、戻らない人は放射線量への警戒感や地域コミュニティーの崩壊、商店がなく生活しにくいことなどを挙げる。

仮に戻ったにせよ、大きな問題点として横たわるのが医療の問題だ。

双葉郡には、県立病院や厚生病院などの大きな医療機関があり、開業医もいた。精神科病院もあった。ところが、避難指示で医療従事者は散り散りになり、入院患者とともに場所を転々とし、患者が命を落とす結果になった医療機関もあった。原発事故は、各医療機関でバランスがとられていた「地域医療」を決定的に粉々にしてしまった。

そんな中、南相馬市小高区の市立小高病院と双葉郡広野町の高野病院は、過酷な原発事故後も政府の避難指示とは別に、地域医療のとりでとして存在した。

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小高病院は、事故から3年後の2014年4月に再開した。地震の影響が大きく、配管などが壊れてしまった99床の本館は使えず、原発事故前はリハビリテーションなどのスペースとして使っていた部分を事実上の「診療所」として、軽傷対応の医療機関になった。それでも、当時は小高区の避難指示が解けていない状態だったため、市が「小高復興のシンボル」と位置づけて、あえて再開させた経緯がある。

当初から、週1~2日の診察を担当し続けるのが中尾誠利(まさとし)医師だ。もともと神奈川県内の産業医だが、ほぼ毎週仙台経由で南相馬へ向かう。時間も費用もかかるが、福島とのつながりを意識し続ける。

もともと福島とは縁もゆかりもなかった。たまたま、震災直前に医師不足に悩む小高病院が出した募集告知に応募。原発事故直後から南相馬市立総合病院へ支援に入り、ずっと診察にあたっている。

中尾医師は「最後は人と人との付き合い。そこで地元の方と信頼関係が生まれれば、復興に向けて強い力になります。医師として復興にも貢献出来る。地元の方とともに前向きに歩んでいきたいです」という。

「ボランティアもそうだし、報道機関もそう。一過性でしかかかわろうとしない人はすぐわかります。浜通りの復興に本気で取り組む人としか付き合いたくありません」と中尾医師。この姿勢が、中尾医師を名指しで診察を受ける地元住民が増えているところに信頼関係となって現れている。

その小高病院から福島第一原発を挟んで南へ約40キロ。太平洋を望む高台に高野病院はある。年末に高齢の高野英男院長が急死。病院唯一の医師だったため、診療に支障を来す事態に発展した。

各地の医師ボランティアが診療を担当し、2月と3月は院長を兼ねる常勤医が確保出来たことは新聞やテレビで大きく取り上げられた。広野町は原発事故直後に全町避難を行ったが、100人近い入院患者がいる高野病院は、高野院長が「移動は患者の命を縮める」として避難をしない選択をし、「地域医療を守り抜いた」と受け止められていることも大きい。

急死した高野院長の後任として、2月に着任したのは中山祐次郎医師だ。都立駒込病院の大腸がん専門の外科医から、4月に福島県郡山市の病院へ着任するのを前に、一足早く福島入りを果たした。

2月末、高野病院でお話を伺った。「ようやく慣れた」と笑顔を見せたが、上司がいない環境は初めての経験。「経営面に深く立ち入ってはいないが、医療行為はもちろん、日々のコストにかかわることでも決断が求められる」と身を引き締める。一方で、「こうした経験が最大のメリットと考えてきた。成長していると実感します」という。

実際に被災地医療に携わってみた感想はどうか。「避難指示が出て住み慣れた環境から移り、かかりつけ医も変わるなどでぐっと悪くなった方が多い印象を受けます。外来患者でも同様です」という。

生死にかかわる可能性がある医療機関は、この種の災害発生時に住民の本音が浮かび上がる場なのかもしれない。

小高病院で、職員が自らに言い聞かせるように話した言葉が印象的だった。

「震災から6年。もういい加減、私たちは自分の生活をきちんと送るためにも、言うべきことは主張しないといけない。被災地に住む人間が、いつまでも被害者意識を引きずっていたらだめだと思います」

原発事故はたしかに不幸な出来事だった。地域が崩壊し、買い物などの生活が困難な場所もある。放射能におびえて、帰還を選ばない考え方もある。だが一方で、中尾医師や中山医師のように、本来は福島と無縁な人たちが、事故前の浜通りを取り戻そうと動く崇高な取り組みもある。

いずれも、他人に強制されて考え、行動するものではない。同じ県民が対立する構図は見たくない。お互いの価値観を認める社会への変革が、この福島だからこそ求められているような気がする。